富士山
(2001年8月)
今回は、2001年の夏に富士登山をしたときの記録を紹介します。

特に研究目的はなく、登山を楽しむための日帰り登山でした。

富士山は、五合目まで自動車で乗り入れることができます。

五合目に車を止めた後は、徒歩か馬(有料)で山道を登っていくことになります。

右は、五合目前で撮った写真。

判りづらいですが、早朝なので、雲海に富士山の巨大な影が映っていました。

ちょっと珍しそうな光景です。
登りルートは、いくつもの山小屋を休憩点として、頂上までの道程をつないで行きます。

登山客の姿がかなり多くてにぎやかでした。

山では珍しいはずのギャルやカップルが、ここではリュックを背負って歩いています

最初のうちは、このようなのどかな風景です。

しかし延々と続く登山道に、やがて疲労との戦いが始まるのです。

「もう二度とこない」などとこぼしている者もいました。
あまりに観光地っぽい雰囲気に、大自然の脅威などということはつい忘れてしまいそうになります。

どこに行っても人の姿があるので、遭難などしようとしてもできないような感じがします。

とはいえ、たとえば水の準備は重要です。

長い道のりの中でも、簡単には補給できないからです。

今回は2リットル準備して行きました。
高度が上がるにつれて、あたりは月面もかくやという、荒涼無辺の砂礫に変わっていきます。

驚くことに、このような世界でも、山小屋の片隅には自動販売機があったりします。

値段は下界の数倍しますが。

登山道の途中でも山頂でも、ジュースや食料は売っていますが、びっくりするほど高価です。

とはいえ、砂漠では水の値段が高いのと同じこと。

平地の経済とは、わけが違うのです。
ティンバーライン(Timber line)という言葉があります。
「森林限界線」という意味です。

登山中、森林と瓦礫の境界線がみえたわけではありませんが、いつの間にか、そのラインを越えていたわけです。

次の機会があったら、富士山のティンバーラインなるものをよく見極めたいと思います。

ちなみに、海外のさらに高い山になると「生存限界線」というものがあるそうです。
空気が薄くなり、酸素吸入等の処置を一定時間以内に行い続けないと、「肺水腫」を起こして、自分の体液で窒息してしまうのだそうです。


このような恐ろしい世界を思えば、古来、世界各国の民族が、山岳を「神々の領域」として畏れうやまったのも、納得です。
山頂には数軒の売店が立ち並び、その向こうには巨大な火口があります。

さらに火口の向こうには、「富士山レーダー」の名も高き気象観測所が見えました。
右は、火口の底を撮影したものです。

当然ですが、煮えたぎるマグマをみることはできませんでした。

が、なぜか言い知れぬ恐怖感を禁じ得ません。。

「はやくここから立ち去れ」と、本能が告げるような気がしました。

富士山は休火山。

いつかまた、この火口が噴火する日が来るのかも知れません。

山頂には、いくつかの鳥居や祠があります。

現代といえども、山岳信仰の精神は忘れるべきではないでしょう。

まして富士山は霊山とされていたのですから。

もっとも、山岳信仰とは、山を頂上から拝むものではないような気もしますが…

ま、細かいことはさておきますか。
目を楽しませる緑もなく、耳を楽しませる鳥のさえずりもない山頂ですが、雲だけは底抜けに美しかった。

単なる水蒸気を含んだ空気というより、上に乗って歩けそうなくらい、圧倒的な質量感をもった白い巨大な塊に見えました。

太古、草木が地上に出現する以前から、この岩と雲の風景はあったのだろう、と思わせるような光景でした。

富士登山は、ゴミ・し尿処理といった環境問題と、実は無関係ではいられません。

確かにシーズンは、山岳地としては人の姿が異様に多く、観光地化もはなはだしく進んでいることは否めません。

しかし、入山禁止で人が入れないきれいな山にせず、人が登れる汚れた山であり続けることにも、意味はあるような気がします。

富士山の現状は、現代文明における、人と自然との関係の縮図だからです。

具体的に、我々の抱える問題を目の当たりにすれば、新しい発想が生まれるかも知れません。