富士山は、五合目まで自動車で乗り入れることができます。
五合目に車を止めた後は、徒歩か馬(有料)で山道を登っていくことになります。
右は、五合目前で撮った写真。
判りづらいですが、早朝なので、雲海に富士山の巨大な影が映っていました。
ちょっと珍しそうな光景です。 |
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登りルートは、いくつもの山小屋を休憩点として、頂上までの道程をつないで行きます。
登山客の姿がかなり多くてにぎやかでした。
山では珍しいはずのギャルやカップルが、ここではリュックを背負って歩いています。
最初のうちは、このようなのどかな風景です。
しかし延々と続く登山道に、やがて疲労との戦いが始まるのです。
「もう二度とこない」などとこぼしている者もいました。 |
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あまりに観光地っぽい雰囲気に、大自然の脅威などということはつい忘れてしまいそうになります。
どこに行っても人の姿があるので、遭難などしようとしてもできないような感じがします。
とはいえ、たとえば水の準備は重要です。
長い道のりの中でも、簡単には補給できないからです。
今回は2リットル準備して行きました。 |
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高度が上がるにつれて、あたりは月面もかくやという、荒涼無辺の砂礫に変わっていきます。
驚くことに、このような世界でも、山小屋の片隅には自動販売機があったりします。
値段は下界の数倍しますが。
登山道の途中でも山頂でも、ジュースや食料は売っていますが、びっくりするほど高価です。
とはいえ、砂漠では水の値段が高いのと同じこと。
平地の経済とは、わけが違うのです。 |
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ティンバーライン(Timber line)という言葉があります。
「森林限界線」という意味です。
登山中、森林と瓦礫の境界線がみえたわけではありませんが、いつの間にか、そのラインを越えていたわけです。
次の機会があったら、富士山のティンバーラインなるものをよく見極めたいと思います。
ちなみに、海外のさらに高い山になると「生存限界線」というものがあるそうです。
空気が薄くなり、酸素吸入等の処置を一定時間以内に行い続けないと、「肺水腫」を起こして、自分の体液で窒息してしまうのだそうです。
このような恐ろしい世界を思えば、古来、世界各国の民族が、山岳を「神々の領域」として畏れうやまったのも、納得です。 |
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山頂には数軒の売店が立ち並び、その向こうには巨大な火口があります。
さらに火口の向こうには、「富士山レーダー」の名も高き気象観測所が見えました。 |
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右は、火口の底を撮影したものです。
当然ですが、煮えたぎるマグマをみることはできませんでした。
が、なぜか言い知れぬ恐怖感を禁じ得ません。。
「はやくここから立ち去れ」と、本能が告げるような気がしました。
富士山は休火山。
いつかまた、この火口が噴火する日が来るのかも知れません。
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山頂には、いくつかの鳥居や祠があります。
現代といえども、山岳信仰の精神は忘れるべきではないでしょう。
まして富士山は霊山とされていたのですから。
もっとも、山岳信仰とは、山を頂上から拝むものではないような気もしますが…
ま、細かいことはさておきますか。 |
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目を楽しませる緑もなく、耳を楽しませる鳥のさえずりもない山頂ですが、雲だけは底抜けに美しかった。
単なる水蒸気を含んだ空気というより、上に乗って歩けそうなくらい、圧倒的な質量感をもった白い巨大な塊に見えました。
太古、草木が地上に出現する以前から、この岩と雲の風景はあったのだろう、と思わせるような光景でした。 |
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